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1月14日 上方落語はめもの会(国立演芸場) 上記タイトルの会がある。 主催は桂文我。 上方落語特有の「はめもの」入りの噺と、そのしくみを紹介しようというもの。 今年は第2回、ということは第1回があったわけだが、そのときは行っていない。 開演時間が18時30分と早めに設定されており、開演には間に合わず。 【演者/演目】 1. 桂まん我『野崎詣り』 噺なかばで入場。 私は間に合わなかったが、どうやらお囃子を止める合図を出さないというアクシデントがあったらしい(後のコーナーで語られた)。 2. 桂文我『愛宕山』 上方と東京の『愛宕山』の違いは、ふたつある。 ひとつは、この会の主旨であるハメモノが入るかどうかということ。 もうひとつは、上方版では幇間が大阪でしくじった末に京都まで来ているということ。 つまり、都落ち(京都に都落ちというのも変な言い方だが)しているわけであるが、京都の人間は京都の人間で京都の方が偉いという意識がある。 昨年聴いた『はてなの茶碗』もそうだったが、京都が舞台になると、この「京都vs大阪」の確執が噺のあちこちに見受けられる。 噺そのものの山場はみっつ。 ひとつめは、山登り。 最初は、このくらいなんでもないと豪語していた一八だが、次第にだめになっていく。 文我はこの辺の描写が、うまいといえばうまいが、やや技巧に走っている感があった。 シビアに言うと、しんどくなっていく演技には見えたが、本当にしんどいようには見えなかった。 ふたつめは、かわらけ(土器)投げ。 文我のかわらけは、かなりの滞空時間を要する。 リアリズム的観点に立てば少々不自然だが、これは、旦那と一八の投げ方を対比させるためと思われる。 余談だが、暮れに桂文枝の『愛宕山』をテレビで見た。 この場面で文枝は、かわらけが的を通過するごとにハメモノで音を入れていた。 これは分かり易い。 ちなみに文我(というか米朝)は入れない。 両者の何らかのポリシーの違いか。 みっつめは、谷降り(昇り)。 現実にはありえない、落語ならではの世界。 クライマックスとして十分楽しめた。 3. 上方寄席囃子の魅力 本日出演の落語家全員(太鼓・笛を担当)と、かつら益美(三味線)が舞台に並ぶ。 出囃子をいくつか紹介。 このときに、桂宗助の形態模写(出の様子)がつく。 やったのは、桂春団治、桂米朝、笑福亭松鶴の3人。 正直どこまで似ているのかよくわからないが、雰囲気は笑えた。 その後、『軽業』という噺の一部を、ハメモノの実演の様子をみせつつ紹介。 表だけ見ているとたいしたことないように見えるが、裏を見るとタイミングを合わせるのがいかに大変かよくわかる。 4. 桂宗助『足上がり』 これは2年前の、上方芝居噺の会で見ている。 噺の中に「四谷怪談」の舞台の様子を入れ込んだもの。 足上がりとは、暇を出すという意味の言葉でサゲに結びつく。 5. 桂文我『本能寺』 『足上がり』は芝居のごく一部だが、こちらは『本能寺』という芝居の一幕をそのままやってしまうというもの。 もちろんそれだけでは、おもしろみに欠けるので、クスグリはいくつか入っている。 扇子・手ぬぐいでもって舞台の情景を再現する工夫の数々が見物。 なおこの噺は以前、桂米朝のものを見ているが(テレビ)、そのときは、田舎の人が持ち込んだイナゴが舞台中にあふれ、そのことがサゲに結びつくようにやっていた(これだけで『蝗芝居』という小咄らしい)。 ただ、これはいまでは通じにくいということか、文我は『草履鍋』を最後にくっつけていた。 わかりやすいが、『蝗芝居』の方がよかったのにという思いもあった。 いい会だったと思うが、お客の入りはいまひとつ。 なかなか、上方落語を聴こうという気にはならないのか。 |
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らくだです。 |
らくだ 2009/01/15 18:00 |
小三治とか、それに類する人数名のみが異常に人気を集め、他はそれほどでもないというのは、もったいないという気はします。 |
ジャマ>らくださん 2009/01/15 22:15 |
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